「怒り顔」の犬!「ハナ」の覚え書き

こんにちは。

1月も2週目となりすっかり正月気分はなくなりました。笑

振り返ると今年の正月は何処にも出かけず終わった感じです。ただ、我が家の正月のイベントとして「お墓参り」だけは実行しました。(イベントとしてはかなり地味ですが、、、笑)

ちなみに、お墓は千葉にあり「お墓参り」を終えた後は「ペット霊園」に行くという、お墓のはしごをお正月に行います。

そしてペット霊園には以前、飼っていた、「ハナ」という雌の犬が眠っています。犬種はパグです。

私の家から車で40分位の場所にあるその霊園は敷地も広く立派な霊園です。ただ、我が家の「ハナ」は、その立派なお墓を通り越し、1番奥の共同墓地の様なところで眠っています。

おおきなコンクリートの釜のような物の中に沢山のペットが眠っています。周りには花や瓶に入れた写真、ペットフードなどが見守っています。

ふと「ハナは他のペット達と仲良くやっているかな?」と不安になります。

「ハナ」の思い出

私の実家に「ハナ」がやってきたのは初夏の頃でした。私の家内が、私の両親の「パグが飼いたいね、、」と言う言葉に過剰反応しブリーダーを見つけ、購入してきました。
私の第一印象は「顔がしわくちゃ!」と言う感じでした。もちろん肯定的な気持ちです。「個性的でgood❤️」の感じでした。

ハナは暴れん坊でしたが妙な威厳がありました。背筋を伸ばして人を正面からじっと見るのです。来客がある時なども吠えるより「ジィー」と視線を逸らさずに見つめるのです。失礼な言い方ですが、相手の方を値踏みしている様な感じなのです。
しかし、所詮犬なので散歩に行けば喜ぶし、たまに与える「人間の食べ物!」(笑)をあげれば嬉々としていました。
私の家の近くに「葛西臨海公園」があり、そこが妙にお気に入りだったようです。車に乗せ臨海公園に行くのですが、長時間の散歩も平気でなかなか帰りの車に乗ろうとしませんでした。

それから何年か過ぎ、私の父が他界し、実家は母とハナだけになりました。私も仕事が忙しくなり実家に行く回数は減っていきました。

たまに実家に行くと定位置のソファーの上で母とハナがじっとテレビを観ています。笑
私の顔を見てハナが「なんの用だね」と言っているような気がしました。
雌の犬なのに何か頑固なオヤジの雰囲気を醸し出していました。
その頃は母とハナはまるで「セット」のような感じでした。

ただ、威張っているように見えるハナでしたが体は弱く、しょっちゅう体調を崩していました。パグ特有の顔のシワは湿疹ができやすく、又、鼻が低いのが関係しているのか、風邪もよくひいていました。

さらに月日が経ちハナは立派な体格になりました。母が食べ物を与え過ぎたのも原因かも知れませんが、少し太り気味でした。私の弟などが食べ物の与え過ぎに注意をしていたのですが、母の楽しみなので、皆言わなくなりました。
その頃のハナは威厳の感じに磨きがかかり、まるでいつも怒っているかのような顔になっていました。(笑)
たまに私が散歩に連れて行ってもコースが違うとすぐ正規のコースに移動し、リーダーシップは常にハナにあるようでした。

ただ母にはさすがのハナも逆らわず従順でした。たまに私が調子に乗りハナをいじって怒らせ、吠えさせても母の一声で静かになっていました。

また夜は母の布団でイビキをかいて寝ていました。まるで人間のようなイビキでした。

この頃が、ハナの1番幸せな時期だったと思います。

母も散歩で他の犬の飼い主と知り合いになったりしていました。

そして、その頃の実家は、まるでハナが「家長」で母は「お世話をする人」的な感じでした。笑

これは犬であれば皆あると思いますが「興味があるものには突進!」という困った癖がハナの場合突出していた気がします。散歩中、母が転ぶ、または転びそうになる、というか事が何度かありました。その都度母は叱っていたのですが効果はあまり無かったようです。

そんなハナでしたが外では案外臆病で、散歩中、他の犬と鉢合わせた時などは私の後ろで隠れている事もありました。典型的な内弁慶でした。

そういえばこんな事もありました。
私達家族が旅行に行く事が決まり。その為、ハナをペットホテルに預けました。ハナは大変不安がり、吠えて私達を困らせました。
そして旅行から帰り、ハナを自宅に連れ帰り「何か美味しいものでもあげよう!」と食べ物を与えたのですが、一向に食べようとしません。ハナの大好きな鳥のササミを与えても食べませんでした。よく、「ストレスで食べなくなる」と言いますが、ハナの場合は私達を困らせようとする思惑が感じられ、閉口しました。しかしその不貞腐れた態度も2日もすればもとに戻っていました。

それから何年か過ぎ、ハナも歳をとりました。しかし、いつもの「怒り顔」は健在で私がたまに実家に行くと相変わらず「ジィー」と睨んでいました。

その頃になると散歩をしていても途中で歩かなくなったり、あんなに好きだった臨海公園の散歩もきつそうでした。しかし食欲は相変わらず旺盛でした。

いつの日か、母から電話で「ハナが具合悪いから動物病気まで車を出して!」などの連絡が来るようになりました。
病院に行く機会も増え、ハナも少しずつ衰えていきました。

決定的だったのは「脳に腫瘍がある!」との獣医さんからの宣告でした。手術で取り除くことも可能でしたが、高齢なハナに手術が耐えられるか、もしくは、腫瘍を取り除いても確実に良くなるかわからない、とのことで結局手術を見送りました。高額な費用の問題もありました。

しかし腫瘍があっても調子が良い時のハナはとても元気でした。ただ腫瘍が脳を圧迫して悪さをするのかわかりませんが、夜中に急に吠えたり、一日中ずっと寝ているような状態でした。

「ハナがいよいよ危ない!」と言う電話があったのは、朝から雨が降るなんともいえない陰鬱な日でした。私はたまたまその日はレッスンがなく、実家に駆けつける事が出来ました。

ハナは座布団に横になり母に背中の辺りを撫でられていました。時折咳のような呼吸を繰り返し、苦しそうでした。そして薄目を開けじっと私の顔を見ました。
私には、強気なハナだからこのような衰え、苦しんでいる姿を見られたくないような気がしました。

そして夕方近くになり、少し大きな咳をした後、静かに呼吸が止まりました。

それからの作業は妙にてきぱきと進みました。業者に連絡し、小さな骨壷にハナが収まるまではあっという間でした。私達はまるで、悲しみをなるべく直視しないように行動したかの様でした。

当時の母の落ち込みはかなりのものでした。周りが心配する程です。

しかし、全ては時間が解決していきます。薄皮を一枚ずつ剥がす様に少しずつ悲しみから解放されていきました。

それから何年か過ぎ、実家にあるハナの写真も私の中ではセピア色になりました。

母は世話をする事が好きなので、私が新しいペットを飼う事を勧めたのですが、しばらくは首を縦に振る事はありませんでした。

久しぶりペット霊園に行き、急にハナの思い出を書きたくなりました。

(現在、母はオカメインコの世話をしています。今回はしんみりした話になってしまいました、、すみません、笑)

また次回^_^

「人と比べないようにしよう!」はこちら
https://car.123guitar.net/2019/03/21/post-826/

ミュージックトレイン笹原ギターでもブログを書いています。のぞいて見て下さい!

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